追記: 2008.02.15 古舘伊知郎氏はネタにされて視聴率を稼ぐ 報道ステーションの戦略
JHの近藤剛総裁が本日の報道ステーションに生出演。古舘伊知郎氏は意気揚々と詰問。あまりの稚拙さに失笑。氏は自分のインタビューを番組終了後にセルフチェックしていないのか?
失礼を承知で申し上げると進歩がない。ナニが?
俗に言う「公共の電波を使用」して、全くの私見を披露しているに過ぎない、とツッコミ。
- 質問の目的が不明
- 質問全体につながりと展開がないから、物語になっていない
- そもそも質問になっていない
我ながら手厳しい、もとい、愚痴に近いノーガキをこれから宣うけどご容赦。まぁ、レッズ朝日という微笑ましいニックネームを冠する局の報道番組へ愛のエール(w
1. 質問の目的が不明
「今問うた内容はインタビュー全体を俯瞰していかような役割を果たしているのか?」が伝わってこない。だから鳥瞰図を描きながら視聴できない。論理の組み立てができない。
ついでに酷評するなら質問のための質問。自分で沈思黙考した「問い」なのかどうか懐疑。例えば、
「組織のトップである総裁が鉄槌をおろせないぐらい公団は伏魔殿なのか?」
と畳みかける。刹那、浮かんだ疑問。
- 「それを聞いてどうしたいのか?」
- 「総裁の答えが”YES”・”No”・”fuzzy”の3通りのうち、どれか予測しているのか?」
- 「それぞの答えに対する次の設問を用意しているのか?」
を心中にいだきながら画面を凝視する。すると全く違う質問、いや質問ではなく、「説教」が飛び出す。ナンダこれは?
その説教に対して総裁曰く(だらだらと答えていたけど)、一言集約すると
「やります」
これほど、格好な模範解答はない。この答えを頂戴したとき、ビジネスなら即座に
- 「誰が」
- 「いつまでに」
- 「どのような内容で」
- 「どのように」
- 「期待できる成果は」
ぐらいでるはず。なのに古舘伊知郎氏からは一言も発せられない。「言質をとる」という基本姿勢すらとっていない勇ましさに唖然。説教に自己満足して溜飲を下げているだけ。
質問全体につながりと展開がないから、物語になっていない
1.と重複してしまって申し訳ない。最大公約数の仮説をたてて、それを検証する質問を構成していない。最大公約数の仮説は「世で批判されているJHの問題点がどこにあるのか?」。それに対する総裁の「見解」と「打つ手」はいかほどあたりか。
仮説をどう抽出し、自分の「分析」というスパイスで味付けして、「質問」という料理をテーブルにだせるかが、”anchor”の腕の見せ所じゃないか。と、勝手に無責任に期待。
「よくぞ、聞いてくれた古館」「なるほど、そんな視点もあるのか古館」とズブの素人を唸らせて。
そもそも質問になっていない
以前から感じていたけど、「質問」じゃなくて自説を披露しているだけ。しかも、勝手に正しいと解釈している一義的な見解を、「どうだ、オレは、ここまで考えているんだぞう〜」って感じで、相手にぶつけている。
印象論で言及すると、今日の近藤総裁のように実直というか、ストレートな反応をする方の場合、時代劇を見ているかのごとく勧善懲悪の構図がハッキリしてわかりやすい。ところが、町村外務大臣や三木谷社長のようなクレバーな?!方と対峙したとき、はぐらかした回答をする海千山千に遭遇したとたん、もう釈迦の手のひらにのる孫悟空。
番組で扱うニュースやテーマが幅広いから造詣を深める心中はいかほどかと察する。その事情をさっ引いても、今回のようなインタビューはいただけない。愚昧なワタクシの感想。
「男子三日会わざれば活目して見よ」ってよくいったもんだと感心、人の振り見て我が振り直せで自戒。