「コラ、出たり入ったりしよったら、中の温度が下がるやろ!ジッとしとかんか!それができんねやったら、いね!」
久しぶりに聞いたおやじの上品な河内弁と怒号と剣幕。場所は、サウナ。叱られたのは小学4〜6年生ぐらいの子供。
里から車で15分ほどのところに「箕輪の里温泉」がある。そこのサウナでおやじと一緒に汗を流していたときの出来事。
先の子供は、友達といっしょに喧噪よろしくサウナへ突入してきた。ちょうどその年ごろにあるオトナへの好奇心というか、真似事への憧れがあったのだろう。オトナの目的と違う目的なのは、一目瞭然。2,3分もすると飛び出し、また入ってのリピート。なんというか”遊び”の一種。だから、ドアが不必要に開閉する。
癇に触ったが、そのままサウナの中にあるテレビの画面を見るともなしに眺めていた。そしたら、しびれをきらしたおやじが冒頭の一喝、カミナリが落ちた。
十年前なら、「おやじ、ええやないか。あの子らも大きいお風呂で楽しんどるがな。」といなしていたかもしれない。が、今回は違う。我が父親ながら、「たいしたもんだ」と内心おそれいった。叱り方を学んだ。
サウナには、「何分間座っていなさい」みたいな”ルール”はない。かろうじて、背中に綺麗な絵が描いてある人はご遠慮くださいぐらいか。ああ、あと泥酔した方はお断り。
が、”ルール”はいくら書いてあっても、破る人がいるかもしれない。一方、サウナという娯楽と癒しの空間には”マナー”もある。ルールは、壁に張り紙をして明示できる。マナーは、当該環境のなかで合意形成されてきた道徳規範かと。大げに言えば、先人たちからの継承(笑)
さらに、愚見をのべるなら”ルール”は、時代や国によって変わるかもしれないが、マナーには普遍的に共通するモノがあると思う。それをどう伝えるのか?
叱られた子供は、それからサウナでじっと座っていた。悔し涙か、怖くて泣いているのかわからなかったが、涙を流し、時折、タオルで拭っていた。
経験したからわかるのだが、おやじの一喝は堪える。声そのものにも畏怖するが、何より「いけないことをした」というのが子供心にも理解でき、突き刺さる。それを感情的にも論理的にも解決する手段を持ち合わせていなかったら、当時の僕は、ただただ泣いた。そうやって「何か」を学んだ。
同時に、「ああ、ひょっとするとこの子は父親に面と向かって叱られたことがないのかもしれないなぁ」って、根拠のない勘が働いた。まったくわからないが。
僕は、子供がいないのもあって、子供や子供を持つ親に、変な気をつかう。自分がどう接してよいのかわからないのもあるだろうけど、正直、今回のような「叱り方」は今までできなかった。
ありがたい。いくつになっても「マナーに反する」「躾や礼儀がなっていない」と、身内であろうが他人であろうが、一喝できる人がそばにいるのは。まだまだ学ぶべきことがたくさんある。また酒でも酌み交わしながら教えを請おう。
Comments
“マナーを伝える -父親から叱り方を教わる自分-” への2件のフィードバック
はじめまして。
TBさせてもらいました。
子タチのほのぼのとした光景が目に浮かびます。
私の方は、親の対応に唖然(笑)…
コメントありがとうございます。今回の親父の対応は賛否あるのでしょうね。paganさんのおっしゃるように唖然とされる場合も(笑)
マナーを伝えるというのは、自分の立ち位置を確認しなくちゃいけないし、本当に勇気のいることだなぁって思います。難しいですね。