会議

会議は前提を共有する場ではない

2PandDouble: 数学的思考法

国際化の本質は「相違なる環境で育った人たちが、「自らの立場である『仮定』とそこから導かれる『結論』を明らかにし、異なる立場の人たちとの間で共通の認識をもてるように努力する」ことであるからだ。『数学的思考法―説明力を鍛えるヒント 講談社現代新書』 P.49

“第3章「数学的思考」のヒント 3-4 対象を「置換」して考えよう”をさっそく活用させていただく。何を置換するのか。「国際化」を「会議」に置き換えて考えてみる。

1-1. 「会議の本質は、『仮定』とそこから導き出される『結論』を明らかにし、異なる立場の人たちとの間で共通の認識をもてるように努力すること」

ただし、「認識」と「努力」に「共有」と「実行」を対として加えたい。ビジネスマインテッドにふみこむと、『結論』から『成果』へと導き出さなければならないからだ。「認識をもてるように努力する」だけでは調味料が足りない。

そして、1-1.の構造を考察していくと、「じゃぁ、『前提』はどうなっているんだ」という疑問が浮かんだ。ある事象に対して『仮定』を設定できるなら、まず『前提』が定義されていると判断する。

ところがここで奇妙な事態がおきる。経営会議に出席させていただくと、そうでもない局面に遭遇する。「そうでもない」というのは、「おや、どうやら前提そのものが疑わしくないかい?」という懐疑だ。

AさんとBさんが口角泡を飛ばしている。愚生は属性を捨象して俯瞰しようと努める。すると掴めてくる。何やら『結論』へと向かっていない。「手段」を批評しているにとどまっている。察すれば、「目標を達成するために実行する策」を採択する雰囲気ではない。なぜか?

すったもんだしているところ、コトコト煮込んでいる「議論の鍋」のフタをあけてみる。なるほどそうか。どうやらAさんは、”カレー”を作ろうしている。他方、Bさんは”クリームシチュー”を作ろうとしている。各々が作るべき料理を勝手に解釈している。すでにメニューは決まっているにもかかわらず。

もともと”おでん”を作るはずである。稚拙な例えしかできない自分を恥じながら突っ走る。ありていに言えば、それほど『前提』が違うのである。

こんな光景を目の当たりにしたとき、以前の愚生なら「んなアホなことあるかいな」と否定するところすら達していない。そもそも「気づいていない」のである。だから輪にかけたように、「オレは”グラタン”を作る」とかき回す。もう何が何だかである。

というわけで、紆余曲折して汗を流したような気分に浸れると、「あっ、そうか、一体何を作るんだっけ?」と出席者が我に返る。そして、会議の議題が「何を作る」へといつしかすり替わる。つまり、「前提を決める」ための話し合いへと変容する。

右が元。

1-2. どんな”おでん”を作ればみんなに喜んでもらえるか?

右は変更後。”おでん”を共有できていない場合

1-3. “何を”作るのか?

そして、「じゃぁ、”おでん”を作るということで、よろしく」となって、会議は無事終了する。「おでん」に決まったと安堵の表情を浮かべる。会議を始める前にそんなことは決まっていたなんてもう彼方へと押しやっている。

だから、1-2.に必要な対策が決まらない。

『前提』を共有するために会議をするのだろうか?—–この問いがまとわりついたままいつものように「会議」に出席する。