才女に囲まれる私、そして宣誓

昨日京都へゆく。で、いきなりカーブするが、ATOKによると"才女"は不快用語らしい。いいや、ボキャブラリーが赤貧なのでこのまま使う。続きは今日の午前中!?。

11:25。というわけで続き。前回「少し話をしてほしい」との依頼をうけ快諾。スタッフさんにむけて約1時間超、ノーガキをたれた。できればスクール形式は苦手なのでディスカッション風に舵を取りたかったが、後半いつのまにか一人でしゃべっていた。反省。

それにしても自分のプレゼン(大げさ!)のやり方がずいぶんかわってきたと再確認して感慨。むかしの私なら「1時間」となると、それなりにレジュメや資料を用意してパワーポイント(=PP)を駆使、なんてやってた。が、今は違う。訳あってPP使用をやめてから随分になるけど、今やレジュメすら用意しないほどずぼらになった。TPOによるけど。まっ、いいかと開き直ってしまう(らしい)。

今回も何を喋ろうかとカチりとかためず、その場の雰囲気に身をまかせるべく訥々と語りはじめた。4人の才女に囲まれて鼓動が高鳴る。私にとって才女とは、相手に対して「すでにわかっている」ことを口にするのではなく、「ええ、それはグサリとくるなぁ(相手が気づいていなかったことも含めて)」ということを華麗に発話できる女性たちをさす。多くの人がふつう黙っていることをさらりと言ってしまう知性とふるまい。もちろん眼前の4人の女性は私の目にはそう映るから才女。

して私は筋道をたてて話ができるほど頭がよいわけでも器用でもない。ゆえにあっちへいったりこっちへいったりと回り道したり寄り道したり、何が言いたいのかよくわからなかったりしながら、「この場は何を求めているのか」を紐解いてゆく。すると、おもしろい。1時間のなかで「くらいつく」と「まぶたが重くなる」の両性がみごとに表出する。もちろん私が興味を抱くのは「まぶたが重くなる」方。なぜか。失礼ながら「くらいつく」はもうすでに互いにコンセンサスを得ている(と私は思っている)。互いとは"私"と"聞き手"。あとは、賛否をふくめて吟味すればよいだけだ。その吟味は私がいなくてもできる(極端な話)。が、「まぶたが重くなる」は違う。明らかに「ズレ」がそこに伏流している。その「ズレ」をフォーカスロックする。何だろう?と。現場を経験していない理論だけの私が喋る内容に、第一線の方々の叡智が「ああ、全然とんちんかん」とシグナルを送っているのかもしれない。あるいは、「ズレ」そのももを相互認識できず私が暴走しているのかもしれない。やっかいなのは、「くいつく」状態にあるとき、「わからない」と積極的に発することはできても、「まぶたが重い」ときはわからないが沈黙する。何がわからないかすらわからないのかもしれない。すべてが憶測の域へと突入する。いずれによせ断層があってそれを架けるブリッジが見あたらない。ゆえに「まぶたが重くなる」はてごわい。

で、なんでこんなくだらないことを考えるようになったのか。それはかつての自分に起因する。PPを使うと安定した物語ができる。そのとおりに喋れば時間を消費できる。語り手はイメージトレーニングによって物語を微調整する。さすれば物語の安定感と語り手の安心感はさらに向上する。「私の言いたいことは"コレ"ですよ」と伝えたいオプションとしては最適。ふと恐怖が襲った。トレードオフ。思考が限定される。「もしも聴衆全員がその伝えたいことに無関心であった」ならどうしようかと。もちろん、そんな物語しか創出できないのが私の能力なのだから、次回はもっとスタンディングオベーションな物語を創作しようと、PPのアニメーション効果を駆使し内容の精度を高めていく。

およ?それでいいの?

でいまだ止まっている。

それからというもの、「私が伝えたいこと」よりも「聴衆が記憶に残したいもの」に転向した。そうなってやり方を模索している最中。話がわけわからなくなってしまうので、毎度すみませんと頭をたれるしか芸はない。

今回もそうだ。4人の才女が記憶に残したかったもの、それぞれの方々が私を斥力にして明日から何をしたいのかとモヤモヤできるもの、その"モノ"を1時間を使ってひとつでも「言語化」できれば、非力な私なら充分と自己満足する。何が残ったのか、もしくは全く残らなかったのかは、私の「感度」でしか推し量れない。だから感度が低い私はまだわからない。それを強化していくしかない。すれば「まぶたが重くなる」ズレも"あたり"をつけられるようになってくるのだろう。楽しみだ。

そしてその後に酒宴。才女が才女たるゆえんをみなさん如何なく発揮する。ほんとうにすばらしい。快なる哉と心中つぶやき、私もハメをはずしすぎた。いや、やっぱり酒を呑んでもクールにふるまうにはまだまだ修養がたりない。

その酒宴での院長先生のおことば。「シンクセルさんの今日の話ならコンサルティングができると思いましたよ」

ありがたい。自分が尊敬している方からかような言葉を頂戴できるとは想像もしていなかった。調子にのる。「ああ、ウェブサイト以外の後方支援もできるな」と宣誓す。