大人でない人に脊髄反射する私

乙武洋匡オフィシャルサイトが炎上気味。紀子さま出産のエントリーが発端。

世間は昨日から「めでたい、めでたい」と騒いでるけど……ひとつの命が誕生したことがめでたいの?それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの?どちらにしても。これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。

そしてこのあと深くお詫びしますとエントリー。

言葉足らずの文章を書いたために、多くの方の誤解と憤りを招いてしまったことを、深くお詫びするとともに、弁明させていただければと思います。

乙武洋匡氏がスポーツジャーナリストとしてどのような仕事をしていて、またどんな文章を書いて、スポーツ界に影響をあたえるのかに興味はまったくない。また、この二つのエントリーから一般化するのは、私の思考が停止している証左であるため、そんな愚もさらしたくない。なので、この二つのエントリーだけにフォーカスして感じたことは、「想像力がないのだなぁ」と思った。「もっとアクセス数を増やしたい」目的で書いたのなら、「創造力」は持っておられるのかもしれない。

「紀子さま出産」のエントリーはひとつめの引用が全文だ。わずかこの文字数をもってして、その後に「言葉足らずの文章」と弁明している。賛意であれ提案であれ、はたまた批評するにせよ事象を察すれば、どれだけ書き尽くしても「想定どおりに読まない読者」が生じる内容になると推し量れる。それを肝に銘じてキーボードを叩くのが、最低限必要な想像力をもつ大人の礼節だろう。

「大勢の意見とは逆に考えたり、斜に構えたり」するのは、自分をフリーズさせないためには必要なことである。しかし、それらは「自分をフリーズさせない」ための手段であって、「逆に考えたり、斜に構えたり」すること自体が目的ではない。「逆に考えたり斜に構える」のが日常になると、「自分はマイノリティーである」という誘惑が己を固定する。すると今度は、「その逆や斜に構えること」ができなくなると思う。思考を道具とせずに遊具にすると火傷する。まるで予備校で習う「○○先生の小論文攻略法」的な香を、この二つのエントリーから私はかぎ取ってしまった。

この二つのエントリーに関してだけは大人でないと私は判断した。そしてその判断が今度は私にも襲いかかる。これに脊髄反射した私も大人ではない。言い訳させてもらうと、乙武洋匡氏のエントリーを「反論するための俎上に載せるつもり」は毛頭ない。ただ「そうですか」と読み流す。とまれ、「いま、このエントリーを書いている」程度の脊髄反射をしてしまった。

これら大人でない人に反応してしまう大人でない私がいる。まだまだ。いつか華麗にスルーできる自分になるよう修養を積む。そんな毎日。