黙黙

2010.02.07 晴れのち曇り

昨夜の続き。F先生のDBを作成するので、OS環境を一新。OSをSnow Leopardへ。朝からその作業。OSのクリーンインストール。OSのカスタマイズ。ATOK 2009の次はメモリ, ステータス, 環境設定関係のソフトをインストールして、ブラウザや常用アプリ。あとはFileMaker Pro 10。朝から黙黙と作業をこなす。文字通り作業だと感じた。

MacとOS周りの整備は何も考えず、只管構築あるのみ。使い勝手のよい環境へ。MacPortsでApache2, MySQL5, PHP5の環境構築していく作業と違うな。20代の頃はインストール猿で、こういった作業は好んでやっていたけど、今は一刻も早く安定環境を整備したら、あとはよほどのことがない限りいじらない。時間の価値観が変化したせいだ。

土曜日に積もった雪が溶けてゆく。今年は何度か雪が積もった。大阪から滋賀へ引っ越した初めての冬、白銀の景色を見てとてもびっくりした。大阪では雪が珍しいので、積雪の概念を持ってなかった。積雪の記憶はたしか高校受験の時ぐらいだった思う。寒さも堪えた。暮らし始めた2週間は、夜中寒くて毎夜目が覚めた。おまけに雪が積もるし、毎日降るわでえらい場所へ引っ越したなと思った。後でわかったことだが、その年は三八豪雪以来の大雪だった。

それを思い出しながら外の景色を眺める。見慣れた風景になった。寒さも堪えるけれど慣れてきた。慣れは怖い。異なった角度から現象を視る力を低下させる。一瞬で日常を判断してしまい、詳細へ目が向かない。コントラストにも気づかない。慣れは緊張感を奪い、危ないと知りつつ、凍った道を小走りする。目の前の景色は見慣れても同一の存在は全くないはずである。だから、五感と思考が鋭ければ、変化や対比に気づく。つまり、自分の頭はどんどん悪くなっているということ。

森先生のブログで読んだ禅僧の話をいつも思い出す。脳波の実験。一般人と禅僧が座禅をしている途中、5分に1度、ベルを鳴らす。両者の脳波が乱れる。禅僧の脳波は乱れなくなると予想されていた。実験の結果は予想を裏切った。2回目、3回目のベル、一般人の脳波は乱れなくなった。禅僧の脳は、いつも同じように乱れたという。無心とはこういうものを意味するらしい。あるいは初心とも云うかもしれない。

背景に存在する事象を視る力、その事象を幾通りもの物語へ組み立てる力、それらの源は感性だ。優れた感性は自分を常に揺らがせている。居着かない。初心を保つ。

要領がよくなりたい、狡猾でありたい、上手く立ち居振る舞い他人から高い評価を得たい、その気持ちを持った代償は感性を失うことだ。今の自分を分析してそう考える。他人の評価より日常の微細な変化に気づく感性を持ちたいと願う。