あなたへ

2011.09.01 曇時々雨(強い雨も)

以下は断定している。けれどすべて「思う」がつく。

大阪の地下をひとりで歩く。誰もがまっすぐ歩いている。狂気だ。 雑踏のなか、みんなと同じようにまっすぐ歩いている自分に気づき、心の秒針が左へ回りはじめる。狂っている。

狂気と正気。

ラベルである。誰かが状態を認識したいから、ラベルに正気の文字を書く。正気と書かれたラベルを一枚一枚丁寧に世間の至る所へ貼り付ける。ラベルは人を無痛へ導き、安心させる。世間は狂っていない。それが合い言葉。

私は心の中でラベルを剥がす。剥がしてもいきがらない。いきがりたい衝動をおさえる。抑制は毒へ。毒のさばきかたにまごつき疲れる。

至る所に貼られたラベルが目についたら、そっと剥がす。もし、言葉で狂気と正気を表現しなければならないって迫られたら、示そう。

世間が狂気であり世界は正気なんだ、と。

正気と書かれた世間のラベルを一枚一枚丁寧に剥がす。ほら、私は剥がしたよ、って誇らない。静かに剥がしてごみ箱へ捨てる。ごみ箱へ捨てられたら、”いま”が五感を刺激する。

他人は世間をつくり、私は世界をつくる。

正気と狂気のコイン。他人がコインをトスして判定する。長方形の部屋。格子窓がひとつ。壁の色は白。部屋の住人は壁に表現している。自分の糞尿で。手で糞尿をつかみ壁に塗りつけて表現する。部屋に踏み入れた人は、「狂気」を上にしたコインを部屋のテーブルに置いた。表現している人は、コインそのものを持っていない。

私は糞尿を手につかんで表現できない。だったら正気か? 正気と狂気のコインも持っていない。持っていない代わりに誰かにコインを差し出す欲望を制御する。制御できない。欲望が私のなかでもつれる。両者の境界は私の中にない。誰かが境界に線を引く。

他人は己の理解の外側にいる。外側は私から見えない。追いかけても「外側」と記された領域はない。そも私は理解しようとしてない。世間をおそれずからかわず。あざけり笑わず、媚びない。因襲の桎梏から逃れられない。逃れなくてよい。世間のなかにいる自分の躰に色を塗り、見つけてもらいたいか?

ほんとうのとんがったまともな人がいるなら、無色透明である。だから世間は気づかない。ある日、世間は無色透明の存在に気づき戦く。とんがってまともな人の「言葉」は、コスモスとカオスが同時に成立している。

世間は言葉で理解しようとして畏怖の念を抱き、拒んでしりぞける。

自分を潜ろう。深く深く。他人から見た私、私から見た他人、どちらにも心はひかれない。私から見た私。自分のことだけに心がゆさぶられざわつく。パラレルワールドでは誰かが別の「仕方」で潜っている。潜れば、潜っている誰かの存在に気づく。仕方は違う。その時、他人とわかりあえるなんてありえない、とはじめて気づく。それが正気と絶望のスタートライン。

スタートラインへ立つ。踏み出す。行き先は知らない。私は私の仕方で潜る。あなたはあなたの仕方で潜る。わかるわけない。わかりあうわけないって、お互いが認められたら最高だ。それがかけがえのない宝物。宝物さえあれば、お互いにかみ合わない話を「眠る」まで続けられる。ずっと。

パラレルワールドで潜っている存在に気づけば、ひとりではない。

自分を潜るために生きる。死んでも潜れるかもしれない。知らない。生と死のどちらが楽かわからない。ただひとつ、死んでみなければわからないと思っている。それまでは潜る。生きていれば、おいしいごはんを食べ、うまい酒を飲み、好きな音楽を聴き、好きな洋服を着て、行きたい場所へ出かけ、気の向くままにぶらぶらする。人を好きになり、好かれる。時に尊敬され、尊敬する。それらはすべて喜びをもたらしてくれる。

何気ないことのほうが生を教えてくれる。記憶に残らないわずかなことが生を感じさせてくれる。

喜びは一瞬。

苦しみや憂い悲しみのほうが多い。望んでいてもいなくても絶たれる。1%の喜びのために99%の苦しみを味わっている。命綱は、あやういバランス。いつこわれてもおかしくない天秤に躰と精神をのせて釣り合わせたくて、毎日決められた時間に決められたことを淡々とこなす。

やめたくてもやめられない。否、やめるやめないんじゃない。そんな綺麗事で片付けられない。向き合っているだよね。

生きているから体温と臭いを感じられる。

まだまだ書きたいけれどやめよう。続きは、お互いそれぞれの仕方で自分をもっと潜ってから。扉の鍵はベンチ。

私はあなたの”そのへん”をうろうろしている。適当に扱って。