虚言

2011.12.02 曇時々雨

週末の定番、Footlooseでお目覚め。映画をリアルタイムで見られなかった、残念。レンタルビデオか録画を観賞した。みんなで踊れるようになりたくて。サントラ好きの高校生、ディスコダンス好きの高校生。

東京モーターショー 2011のコンパクトカーや一人乗りのモデルはダウンサイジングを示唆している。通信と融合して車自体がSmartphoneのようだ。公道を走る閉鎖空間はプライベートの濃度が高くなっている。

アメリカでもダウンサイジングが浸透しているらしい。実際に見ていない。コンパクトカーが注目されはじめ、フードのサイズは小さくなってきたと読んだ。サイズが小さくなれば高燃費だし食べ過ぎなくてすむ。

空間はパブリックとプライベートの二種類かと思っていた。違う。両者の間にファジーがある。ファジーな空間がパブリックに現れた。Smartphoneを見ながら駅のホームを歩く、階段を降りるといった仕草が増えている。

ダウンサイジングした情報端末は、メディアをひとつに集約した。それさえ持ち歩けば世界中とリンクしてメディアへアクセスできる。動画、写真、テキスト….etc。

パブリックな空間では何がおきるかわからない。絶対の安全はない。そこにいるとき、身体の受信能力を高めて危険に備えなければならない。駅のホームで決して先頭に立たない人や、入線にあわせて振り返る人や身構える人がいる。他方、情報端末を見ながら駅のホームへ落ちる人、列車と接触して死ぬ人がいる。

正法眼蔵随聞記 六 十六 大恵禅師ある時

正法眼蔵随聞記 ちくま学芸文庫 P.382

尻に悪性の腫れ物ができた。このままでほうっておくとあぶない。なのに師はますます坐禅しようといって坐禅する。すると、腫れ物はうみつぶれて何事もなくすんでしまった。

しゃっくりをしているひとに虚言をいってへこたれるようなことを言えば、それをつらいと思って言い訳している間にしゃっくりはとまる、とおっしゃる。

むちゃくちゃである。ほかのことを忘れて学道を力尽くして学び坐禅すれば病気もおこらないと思う、というのも唖然とするしかない。なのに納得させられる。

病は気からという。嘘だと断言するし、そうだなとも認識している。

病は気からと言えるほど「寝食忘れて向き合う」姿勢は、古今東西変わらずそれ自体が類い希な能力であり、天才とは努力しつづけられる才能であるという天才棋士羽生善治氏の言葉を思い出した。