テレビ卒業Apple TV入学

2012.03.22 曇

今朝はさかいゆう – 今夜はブギーバック でスタート。オリジナルは言わずもがな。わたしのなかで名曲中の名曲。私的には”ひこうき”と”いかれたBaby”に続いての衝撃でした。1990年代って遊びまくっていたんだな自分。

“ビジュアル版 新・脳と心の地形図” リタ・カーター に没頭中。書店で目につき、監修のことばの冒頭、「脳研究」とあり即レジへ持っていった。「脳科学」がメディアで取り上げられるようになって、脳に好奇の目が寄せられている。わかりやすい本が平積みされている。そんな風景を目にしてちょっと立ち止まって疑ってみる。各人が自分の脳を自分で診断する。それは勝手だと思う。

別に脳に限らない。自分の体の変調を察知してGoogleで検索する。まず病院へ行けばよいのに検索する。検索結果からあてはまりそうな事例を選ぶ。事例を読み自分で診断する。医者でもないのに己の体を自分で診断して一喜一憂する。

体の場合、他人が変調を訴えたら病院へ行くようにすすめる。家族や親族が変調を訴えたら、検索結果に一通り目を通してから病院をすすめることがあるだろう。なかにはGoogle検索で他人の体を診断する人もいらっしゃるかもしれないが。

脳は体のようなGoogle検索+自己診断とは違うと感じる。自分の体と他人の体は違う。同じく脳も違う。にもかかわらず、脳をなにやら客観にとらえられる物質に置き換えて診断する。私の脳も他人の脳も頭蓋から抜き取って、「あそこがああなっているからね」のように指さしながら語り合えるような錯覚。

「あぶらっこいものを食べたい」と思って食べた後、胃がもたれている様子を見て、「脳がほしがっているけれど体はうけつけなかった。もう歳だね」と自嘲する。その自嘲は自分だけに通用する慰撫であるはずが、加齢とともにみなそういう構造になっていると思い込む。

監修のことばで養老孟司先生は「じつは科学を一般向けに解説するというのは、むずかしい作業なのである」と書いている。私はむずかしい作業を知らない。「脳科学が世間と折り合う必要があった」部分に目を向け、科学として理解しなければならない記述を、私は「心はどこにあるか」的な審問へ都合よくに書き換える。私見を客観的な仮説に昇格させるのは短慮であろう。

いまの脳と人のふるまいに対してあぶなかっしい自分を発見した。だから教科書を学ぼうと思い本書を購入した。

M先生の課題に沈思黙考中。何をどのようにすすめたらよいのか見当がつかない。見当がつかないから見当をつけるところからはじめなければならない。与えられた食材から何か作れと言われたても悩む。ならば食材選びからはじめたらどうか。膨大な選択肢に気づく。そんな感じである。フレームがない。共有フレームをつくる、それが難問。

11:00前に出発して12:00からM先生のミーティングに参加。13:00終了。意志決定しなければならない点と意志決定を脇に置いて共有からはじめてよい点を混合してはいけないと私は考える。他方、それぞれの現場には事情がある。事情を勘案して物事をすすめていくほうが、原理原則を適用してすすめていくよりもメリットが大きいと感じるので私の原理原則は抽斗にいつもしまわれたままである。

大阪まで歩く。ヨドバシカメラに立ち寄り “Apple Apple TV MD199J/A” アップル を購入。3/16に発売された新型。帰宅後、設定。すごい。その一言に尽きる。はじめてPowerBook G4を購入してMacデビューしたときの高揚感。

1080p再生を確認。Ethernetは使っていない。Wi-Fiでスムーズに再生された。

Apple TVの機能を上手に説明できない。アップル – Apple TV – iTunesのHDコンテンツなどをあなたのテレビで。にお願いしよう。自宅のiTunes環境は一変した。Apple TVが媒介してMacBook Pro×2, MacBook, PowerBook, iPad 2, iPod Touchのデバイスがスムーズにリンクする。朝はApple TVでラジオやポッドキャストを聴く。YouTubeを視聴する。iTunesの曲や動画をTVで再生する。

Apple CEO ティム・クック:Apple TVはまだホビー、でも私はこれなしでは生きていけない という発言をまさに体感した。未来を感じる。目新しい技術ではないだろう。SonyやPanasonicでも同様の環境を提供している(と思う)。

何に感動したのだろう。自問自答する。たぶん自分のなかでコンテンツがハードウェアの革新を上回る可能性を感じたからじゃないかな。

家電メーカが自社製品を購入してもらうために自社規格のシステムを提供する。それとは一線を画している。

動画や音楽やラジオのコンテンツを配信するためにYouTube, Podcasting, iTunesがある。Apple TVはそれらのコンテンツをシームレスに体感させるひとつのデバイスにすぎない。ハードウェアが前景にない。コンテンツの背後に隠れている。CMに流すような画期的な製品にあらず。8,800円のハードウェアが「コンテンツとプラットフォームの価値」を教えてくれる。皮肉だ。

AppleがTVを製造すると報じられたが、もしほんとうならApple TV機能が内蔵されたiTunes Serverを実装したTVだ、といまは感じる。

テレビを卒業できそう。そしてApple TVに映像と音声を出力するためにTVに入学しなければならない。ぼくのなかでテレビの定義が書き換えられたUX。