2014.01.25 曇のち雨
[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=E5y6W-EMDz0]奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 – LIVE @ Spring Fever!!! でスタート。昨日、琵琶湖で夕焼けを眺めていたとき聴いていた。よろずのことのはが隠れる無二。存在が震わせる。
夕方、大阪へ。ミーティング。新快速の車窓は厚く覆っている雲。淀川の陸橋にさしかかったとき、革のブックカバーをおおってみた “私の美の世界 (新潮文庫)” 森 茉莉 から顔をあげたら淡い桃色のかけらが見えた。
乱反射? 目のちらつき? 目をこらして見る。夕焼け。桃色の絵の具がはいったバケツに筆をひたして、ぴゅっ、ぴゅっ、とひとふりしたかのように飛び散った夕焼け。階調の点在。
“かないくん” 谷川俊太郎 は「おらへん」ことを教えてくれる。前半のひらがなだけのお話しと後半の大人になった語り。おらへんからわかるんやなくて、おらへんようになったのに残ってるものがあるから感じる。
大切なひとがおらへんようになったのに「始まった」と感じるのはなぜだろう? おらへんようになってから語りかけること。おったときは心ゆくまで語り合えなかったのに、おらへんようになってからできること、すること。なにかを確かめながら話している。
こころおもいと沈黙にはいりこむ無音のかけら。かけらを拾いあつめてゆっくりゆっくり紡ぐ。
20:00終了。ミーティングが終わって外へ出たら夕方よりもあったかい。薄いシャツの上にパーカを一枚はおった人を見て意識をアジャストできた。さすがにそれはまだ寒い私。( おおさかじょうです。ちいーさく、とおーくにしかみえなくてごめんなさい。わたしがそだったところはおおさかじょうからとおくはなれていますが、やまにちかづくとおおさかじょうがちいさくみえました。おしろはありますか? )
文章を書く時、ツイッターの投稿であっても、惰性で「◯◯だと思う」と書かずに、「◯◯だと考える」と書いてみるといい。本当に自分はそれを「考えた」のか、それとも「感じた」だけなのか、「再考」を迫られるから。
— 橋本麻里 (@hashimoto_tokyo) 2014, 1月 15
ずん。刀の切っ先を顎の下に置かれたかのよう。どうしよう。感じるだけじゃ足りなくて考えても届かない。形にしたいな、しなければ。
PKを外すことができるのはPKを蹴る勇気を持った者だけだ、とアズーリの至宝は言った。失敗できるのはやる勇気を持った者だけなんだね。
公共の空間は擦れ合っている。寛容の幅をあと1cmずつ広げられたらやさしい空間になりそうなのに。擦れて渋い成熟した味わいが滲み出てほしいけれど、むしろ擦れ合って痛んで減っている。
そう感じるだけ。