2014.02.01 曇り
青葉市子 – 奇跡はいつでも でスタート。「奇跡はいつでも 誰にだって 微笑んでいるわ」が、鼻づまりが治った瞬間のようにすぅっとはいってきたから驚きつつ。たぶんそう。いつもぐるりぐるっと見渡して肌と心がざわめく万能感を磨けば微笑んでいる。
TLから流れてきた記事を読む。「透明な力を 災後の子どもたち」
河北新報や福島民報に目を通す。新聞社のサイトの記事は簡潔であり紙ほど詳しくないかもしれない。それでも足を使って取材していらっしゃる様子を思い浮かべる。
二社の記事を目にする度に何もできない自分を正確に認識する。何もできないけれど、いつもそこにあると銘ずる。
手間暇かけた更新のおかげで、都道府県の情報へアクセスできる。情報への距離感は仮想の列島を小さくした。自らアクセスしにいく情報はノイズを減らす。ただし偏向に気をつけること。
神戸新聞が阪神淡路大震災を取材し続けているように、新聞は地方紙に価値がある。あるいは地方紙と greenz.jp や 100%LiFE , Ku:nel , KINFOLK などが融合したメディアが誕生してほしい。ローカルの時勢を強く感じる。
読者の習慣はかんたんに変わらない。時間はかかる。40,50年後かもしれない。大手への共同幻想は強固である。強いけれどゆるやかに変わっていくと思う。
暮らしの半径に皮膚を張りグローバルに目を向ける。そんな若い方々がいらっしゃると感じる。増えていそうな気配。暮らしの円をぐるっと描ける距離と地球。
東京や中心を一足飛びして、思考は定在と世界へ。辺境と世界。ふれなければわからないことを自戒しながら。ガラパゴス的な意味合いじゃなくて。神様を遷すなんて世界中見渡しもない。日本だけなんだって。それを深く掘り下げつつ、じゃぁ世界の神様へ目を向けてみる。優劣を比べるためじゃない。
( うめです。こちらはちいさなちいさなつぼみです。そとへでられるのかな。でられるならにおいをかいでみてね。においのことをいつかおはなししあえたらなってねがっています。 )
ネットの空間には、あなたはあなた、私は私、のしなやかで軽やかさがない。身近な現実は暗部を内包している。合わせ鏡の仮想空間にも恥部と暗部がある。
しなやかで軽やかであろうとするなら依らないこと。自律。互いがまろやかに助け合う。互助は群れて馴れなければ成り立たないか? そんなことないはず。
「あなたはあなたでええやん」って偽りなく言えるようになりたい。赤心。それには「何かあったら私ができることをやるからヘルプして(気つかわなんと)」の開放感をまず私が纏わないと。
無関心はそんな開放感を纏わせない。
見抜いてもらえる人に開いている透明の回転扉。透明の扉を作ろう。大らかな透明の回転扉だったらなおよし。