琵琶湖

ひとつをひとりへとどける

新・映像の世紀 第6集の録画を視聴した(再放送は4月5日(4日深夜) 午前0:10)。

誰もが撮影者となり、世界のあらゆる出来事が映像化される時代。スマートフォン、監視カメラ、そしてYouTubeには1分間に400時間を越える映像がアップされ続ける。

スマートフォンで手軽に撮影できる時代。映像は一瞬で拡散される。番組で紹介された It Gets Better Project | Give hope to LGBT youth は一つの映像からはじまった。双子の兄弟が投稿した映像。

兄弟は自分たちがGayであることを父親に伝えた。その映像。”It Gets Better(かならずよくなる)” は瞬く間に広がった。同じ悩みで苦しんでいるLGBTの人たちが次々に “It Gets Better”を投稿した。そして14歳の少年Jameyが一つの映像をYouTubeに投稿する。彼もLGBTであり、学校でGayだからといじめられていた。彼は映像を投稿したあと自殺した。

Lady Gagaのファンだった彼に捧げられた歌。

2015年、アメリカのミュージシャンPharrell Williamsが国連本部で演説した。世界中の人々が、彼のHappyをアレンジして踊っている映像をYouTubeにアップしている。検索したら人種を越えて世界中で踊っている。みんなとってもキュート。

日本では Pharrell Williams – HAPPY (Fukushima, Japan) #happyfukushima #happyday がSNSで拡散された。

いまの10代の方々は、物心ついたころからスマートフォンとSNSが身近にある。インターネット=SNSだとしても不思議ではない。たとえば、Twitter に写真をアップする。アカウントは鍵つきではない。その行為は、「世界中の人々が閲覧できる」ことを意味するけれど、友達にだけ見せているつもりの若者もいる。世界中の人々が見るかも、と想定していないかもしれない。

若者だけではない。Facebookで子供の写真をときたま見かける。Facebookの中だから安心しているのか、「公開」の範囲をご存じでないのか、見知らぬ方のお子さんの写真。恐怖を感じる。

私はFacebookで、”北欧、暮らしの道具店”やそれ系のお店の情報、プロの写真家の写真をもっぱら閲覧しているだけだから、プライベートをアップする方々とは利用目的が違う。そのせいかタイムラインでプライベート写真を目にするたび違和感がある(また興味がまったくない)。「公開」で設定された写真は、友達以外の方もご覧になる。どんな人が見ているかわからない。万が一、誰かが写真を保存して、Facebook以外で公開するかもしれない。性悪説をとりたくないけど、インターネットで映像を公開するとはそういうリスクをはらんでいる。

今まで何度か大型の炎上を目にした。以前、Twitterでヘイトスピーチしていた匿名者が自宅を特定された。自業自得だと思う反面、住所を特定していく過程を読んでこわくなった。手がかりは写真と投稿だけ。警察や公的機関は関与してない。複数の一般人が協力して特定した。

スマートフォンで写真を撮影すると、設定次第で位置情報が記録される(すべての写真ではない)。昔より撮影情報のセキュリティが向上しているとはいえ、位置情報が付加された写真をアップしたら場所を推測される。先のケースは違った。自宅付近で撮影した車のガラスに反射した建物から居場所を突き止められた(あやふやな記憶)。

はじめてインターネットにアクセスしたとき鮮明に覚えている。大学の情報処理室からアメリカの美術館のサイトへ接続した。すごい時代がやってくると感じた。それ以来、インターネット技術の進化に興奮している。インターネットがもたらした利便性はありがたい。インターネットがなければ自分自身に奇跡は起きなかった。

いま誰もがインターネット上で表現できる。YouTubeに自作の歌を投稿してデビューする人、写真家として活躍する人。私には想像できない表現がこれからも現れてくる。

誰もが世界中に発信できる時代になっても、私には変わらないことがひとつ。ブログをはじめたきっかけ。ただ一人に届いてほしい。私の表現の根本。ただ一人にずっと届けたい。

スマートフォンで撮影した一枚の写真。それをSNSへ投稿したり、誰かへ送信する。一瞬の出来事だけど、それはもう表現だ。届けたい人がいる。見てほしい人がいる。切実な願いを世界へ届けたい人、悩みや苦しみを世界中に知ってほしい人、いま起きている惨状を伝えたい人。それはすてきなかけがえのない、人類に与えられた才能だと思う。