むかし、祖父母の法事で聞いたお坊さんの話を思い出す。その時の親父の横顔が印象的だった。
「ご近所の方から、『ご両親はいかがされていますか?』とか『ご両親はお元気ですか?』と聞かれることおまっしゃろ?実は、この何気ない一言に、深い意味がこめられとるんですなぁ。なんやと思いなさる?」
「ご近所づきあいがあるところでは、声をかけた相手のご両親が、存命中かどうかは当然ご存じですわな。かけられたほうも、『ええ、元気にしております』なんて返事をしまへんか?
そこには、当たり前の日常がありますわな。ところが、仮にお父さんが亡くなったとすると、『お母さんはいかがですか?』になりますな。次に、物の順序で考えれば、どうなります?
そうなんですなぁ。尋ねられる中身が、かわるんですな。
『お子さん、もう小学校何年生です?』とか『いかがですか?』って具合でな。まぁ、”自分自身”について問いかけられるわけでんな。
その時、改めて『ああ、親父とお袋はもうこの世におらんのや』と実感するんですなぁ。そして、『次はわしやな』と。物の順序を間違えへんかったら『わしやな』という具合です。
ですから、物の順序を間違えへんというのは、とってもだいじなことやと思いませんか?という話ですわ」
というような感じの話だったと思う。その話を食い入るように聞き入っていた親父の顔が、印象的だった。”寂しさ”と”安堵”が入り交じったような顔。今まで見たことのない表情だった。
それから数年たったある日、親父が「まさあきよ、物の順番は間違えたらあかんぞ」と、ひとりごちた。
「わかってるわ。自分から順番間違うことはないし、他の力で間違いをおこされんよう気をつけるわ。それでもあかんときはあかん。わかってるやろ、2回もあったんやから(笑)。その時はしゃ〜ないけど、親不孝モンになるわ。」
里で玉突きをしていると、玉突きの相手(親父世代)から「おやっさん元気か?」と声をかけられ、祖母が住んでいた近辺へ行くと、”自分自身”以外のことを尋ねられる。そんな当たり前の日常のやりとりをするたびに、お坊さんの話を思い出す。
昭和24年生まれの親父も、いよいよ祖父が死んだ歳になる。