自分の無知についての知識

「強い想像力」を働かせる過程で何を発見できるのだろうか?

内田樹の研究室: 技術ニッポンの黄昏

震災後、設計図を見比べてみたら、昭和初年にヴォーリズが設計した建物は地下の基礎が建築基準法の要求する数値の3倍の深さに達していた。「見えないところ」に、建築後60年後の「顔をあわせる機会もないクライアント」のために、十分な気配りをすること。そのような「強い想像力」をもちうることを「クラフトマンシップ」と言うのだと私は思う。

街場の現代思想自分にとって内田樹先生のブログほど刺激的な読み物はないと即断してしまうほど痛快であり、読了後、こうべをたれて慎むのであります。

先生の著作には、「強い想像力」という言葉を象徴するような構造の文章がたびたび登場します。愚昧には、この強い想像力の真意をはかりしれないが、先生の著作から噛み分ける努力をしてみたい。

彼女たちに欠けているのは「知識」ではない(それはたっぷりある)。欠けているのは、「自分の持っている知識」は、「どのような知識であり、どのような知識でないか」についての認識、自分自身の「知っていること」と「知らないこと」をざっと一望俯瞰するような視点、ひとことで言えば、「自分の知識についての知識」なのである。『街場の現代思想』P.10


この引用部分、卑近な例を挙げて恐縮でありますが、ウェブサイトの打ち合わせをしていると得心します。

『自分はウェブサイトについての知識を持っている。しかし、相手が何を知らないかに関する知識を持っていない(=知らない)』

「相手が何を知らないかを私は知らない」と認識したとき、次に進むのが「強い想像力」だと今の自分は仮定しています。そして、その想像力を発揮しようとあがいている最中に、「自分が何を知らないかについて知っている」すなわち「自分の無知についての知識」(同P.11)の状態になり、”何を知ればよいのか”の発見の道筋がおぼろげに表出してこまいかと愚考するのであります。

このあたりの体験談を次にポストしてみます