国家の自縛

国家の自縛国家の罠に続く第2弾『国家の自縛』。インタビュー取材の内容を単行本にしたものだが、内容は前作以上に異彩を放っている。聞き手は、産経新聞正論調査室長(元モスクワ支局長)斎藤勉氏。本書は、佐藤優氏が序文で言うところの「私の自白調書」である。「自白調書」というだけあって、佐藤氏の”頭の中身”を形成した思考や書物、視点などが随所に垣間見られる。

インタビューでは佐藤氏のそうした発言の数々、いわば「頭の中身」を丸ごと取り出して読者の方々の前に提示しようと試みた。そこには、狭義では日本外交の今後の指針が示され、広義ではインテリジェンスの非日常活動と深遠な神学的教養に裏付けられた青年外交官の柔軟かつ独特な世界観と戦略眼が十分に披露されている。

同書-インタビューを終えて P.238

前作同様『国家の』という表題であるが、内容は大きく異なる。5つのテーマで構成され、

  1. 日本という国家
  2. 対露外交
  3. 外交と国益
  4. ネオコン
  5. これから

各テーマに含まれる要素問題を考察し、国内政治・外務省・対中外交・靖国問題・対露外交・環境問題・教育問題などを取り上げている。また考察だけでなく、問題に対処する手段や方法論を具体的に提示し、第68代横綱朝青龍を活用せよといった斬新なアイデアもある。

毀誉褒貶な佐藤優氏の語り口を一読して、愚生がまとめてみるなら、3つの特徴をあげてみたい。その3つとは、

  1. 国益
  2. 論理的連関
  3. 神学的教養

である。例えば、本書冒頭の質問

—–『国家の罠』で国策捜査の内幕を暴いたのに、佐藤さんの口から小泉純一郎総理の批判は聞いたことがないですね。

(前略)それは私にとって重要なのは、小泉純一郎さんとか小渕恵三さんとか橋本龍太郎さんとか森喜朗さんとかの固有名詞じゃないんです。私にとって日本国内閣総理大臣が重要なんです。選挙で選ばれて、次の選挙で別の人が選ばれるまでは、現職の内閣総理大臣を全力でサポートしていくっていうのが役人の仕事ですし、それが国の金で育成された専門家としてあり方なんですよ。そのモラルを崩したくないと。(後略)

国益を俯瞰し、日本国内閣総理大臣と役人の論理的連関を明示していると思う。一例とはいえこのように本書の全般にわたって、緻密な論理が積み上げられている。

ロジカルな見解を読み進めながら、次の疑問がずっと頭から離れなかった。

「”論理の出発点”(=前提)をかようにも定められるのか?」

愚生が考えるに、論理は他者との接触において強力な武器になりうる一方で、行動に対して時に危険をおよぼす。なぜなら、論理は前提と結論をつなぐ道筋の正しさにかかわっているからだ(愚生が指摘するまでもないが)。

「前提」と「結論」———-その両者自体の正しさを、論理は検証しない。あくまで論理がかかわるのは、道筋の正しさだ。だからこそ、論理的であればある人ほど、論理の出発点を定める能力が問われる。

その能力を磨かないと、佐藤優氏が指摘するように、「床屋のパラドックス」「クレタ人の例え」に落っこちてしまう。その結果、自分自身について言及することになる命題の難しさに気づかずに火傷する。

佐藤優氏の言説が読者を惹きつけるのは、「論理の出発点を設定する頭の中」を覗き見したいという欲望と言えまいか。

そして、その能力の支柱が”3.の神学的教養”である、と愚考する。本書には、獄中に読了した図書が紹介されているし、学生時代から外交官時代までに読破したであろう書物にもとづいた見識も散見される。

その中身は、哲学・論理学・倫理学・心理学・数学・思想などが中心であり、かつ古典から現代までに及ぶ。中には、『神皇正統記』『太平記』といった歴史書も含まれる。

古典から中世を経て現代に至る先人たちが考えてきた「普遍的な知」を消化しているから、次々に起きる世間の事象を俯瞰できるのか?だから優れた前提(すくなくとも愚生から見て)を設定できるのか?

そのつながりは、佐藤優氏から直接伺うまでわからないが、そうではないかと愚生は推測している。

冒頭の引用部分、斎藤勉氏の「インタビューを終えて」の次の箇所が、読了間際と相まってより印象に残った。

インタビューを終えた直後、私はしばし複雑な気持ちにとらわれた。この異能の外交官の「頭の中身」は、皮肉にも本人が逮捕されて外務省に見切りをつけたからこそ、世に出ることになった。それは国民の知る権利を満足させようが、一方で、その非凡な世界観と戦略眼はやはり、佐藤氏の頭の中にしまいこんだまま今後も外交の最前線で密かに発揮されれこそ国益にかなうのではないか。同書 P.239

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