[Review]: 人体 失敗の進化史

人体 失敗の進化史 (光文社新書)

ヒトはその場しのぎで進化してきたのに結果オーライだった。行き当たりばったりに”材料”を探し出してきて、その時々に適応させるように新たな役割を与える。例えばわたしたちの「耳」も「ぼろぼろの設計図」のひとつ。およそ2億年前の初期の哺乳類は”暴挙”と思えるようなひらめきを発揮した。聴覚装置を形作るために顎の蝶番を作っていた関節骨と方形骨のペアをひっこぬき、耳の奥に送り込んだ。そして理想的な耳小骨の機能強化を図った。

新しい耳の材料に顎の関節を使うという”発想”は、はるか後年1400CCの”考える装置”を宿すホモ・サピエンスの祖先がほんとうに設計したのかと疑うほど乱暴だ。文字どおり「目と鼻の先にあった」からといって、合理的とはいえない。ペアをひっこぬき耳の奥に送り込んでから「耳」らしくなるまで大雑把に考えて5000万年くらいの時間を要している。

「私たちヒトとは、地球の生き物として、一体何をしでかした存在なのか」二足歩行という、ある意味とんでもない移動様式を生み出した私たちヒトは、そのために身体全体にわたって、「設計図」をたくさん描き換えなくてはならなかった。そうして得た最大の”目玉”は、巨大で飛び切り優秀な脳だったといえるだろう。ホモ・サピエンスの短い歴史に残されたのは、何度も消しゴムと修正液で描き換えられた、ぼろぼろになった設計図の山だ。その描き換えられた設計図の未来にはどういう運命が待っているのだろうか。引き続き、描き換えに描き換えを続けながら、私たちは進化を続けていくのだろうか。

『人体 失敗の進化史 (光文社新書)』 遠藤 秀紀  P.68

当然の現象でありすぎるゆえにとりあげられない事実がある。ヒトの月経は進化したという事実。動物学者の目には奇妙にうつる月経。女性の生存に何ら有利に働かず、月に一度身体を消耗させる。

他の生物の生存戦略と照合しても、個体にとってここまで不利な現象は通常なら自然淘汰されなくなってしまうと動物学者は考える。ちなみラットは4日に1度の排卵周期をもつ(寿命からすると妥当かもしれない)。ヒトと同様に月経を進化させているのは比較的高等な霊長類の一部のみであって、月経はほとんどヒトの専売特許ともいえる。

ヒトの生殖周期の1サイクルは28日。そんな時間を費やすのは不合理だ。なにより相当奇妙なことは、ヒトは年がら年中”交尾”している。女性側からすると、生殖周期に関わらないコミュニケーションとしての”交尾”を成立させている。

統合的に考察すると、ヒトをヒトたらしめるヒト独自の繁殖戦略を選択したと考えられる。他の哺乳類の繁殖メカニズムから大きく逸脱しているし、メカニズムの作り変えから根本的に確立し直した。

なぜそんな繁殖戦略を選択したのか? なぜ月経は進化したのか? 月経の考察は「前代未聞の改造品」という主要テーマの一部分にすぎない。快刀乱麻を断つかのような考察。月経以外の

  • 「二足歩行を実現する」
  • 「器用な手」
  • 「垂直な身体の誤算」
  • 「現代人の苦悩」

がすこぶるおもしろい。「なぜ腰痛はおこるのか?」という設問は正しくない。むしろ身体を支えている”土台”自体に無茶がある。そう解説されて納得。

「進化」にまつわる話にふれると、私はなによりもまして好奇心が掻き立てられる。無学だけど「進化」は生涯勉強し続けたい。本書を読んで再確認した点。なぜこれほどまでに大きな脳を格納するようになったのか?

脳化指数を比較してもヒト科だけが突出している。体重に対する脳容積が異常に大きい。そして、脳容積が400CCのアファール猿人から1400CCのホモ・サピエンスまでざっと400万年弱。進化の歴史から俯瞰すれば「一瞬」の間に容積が3倍になった。

この事実の意味を考えも仕方がないとわかっている。それでもなぜこんな進化をとげたかの興味はつきない。本書とは違った立場、

自由は進化する

心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈上〉 (NHKブックス)

利己的な遺伝子 <増補新装版>

などの視点もあわせて自分の推論をすすめたい。

たかが五〇〇万年で、ここまで自分たちが暮らす土台を揺るがせた”乱暴者”は、やはりヒト科ただ一群である。[…]ヒト科全体を批判するのがためらわれるとしても、明らかにホモ・サピエンスは成功したとは思われない。この二足歩行の動物は、どちらかといえば、化け物の類だ。五〇キロの身体に一四〇〇CCの脳をつなげてしまった哀しいモンスターなのである。

[…]ヒトが、種としていかなる未来を歩むかなどという論は、科学の仕事ではなく、限りなくロマンと文学のものである。しかし、ヒトの未来はどうなるかという問いに対して、遺体解剖で得られた知をもって答えるなら、やはり自分自身を行き詰まった失敗作ととらえなくてはならない。もちろん、それは、次の設計変更がこれ以上なされないうちに、わが人類が終焉を迎えるという、哀しい未来予測でもある。

[…]私が心から愛でておきたいのは、自分たちが失敗作であることに気づくような動物を生み出してしまうほど、身体の設計変更には、無限に近い可能性が秘められているということだ。同P.218-219

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