[Review]: 外交敗北 日朝首脳会談の真実

外交敗北――日朝首脳会談の真実

「外交敗北」—–幾度となく本書に登場する言葉。日本の外交だけにあらず。北朝鮮や米国の外交にも「外交敗北」があったことが伺える。とはいえ「外交敗北」の中心は日本の外交。

対北朝鮮外交が昨今の事態に陥っている原因を日朝国交正常化交渉(日朝首脳会談)を軸に解析する。30年以上にわたり対北朝鮮外交を取材してきた筆者は警鐘を鳴らす。外交敗北の原因は二つの要素。

一つは「国会対策的」手法を外交に用いた政治屋(政治家ではない)と外交官。もう一つは、各地から飛び込んでくる”情報”を担当部局がうまく使いこなせないシステム。なかでも前者は深刻な問題。暗雲ただよう日本の外交を示唆。

国会対策とは、与党と野党が繰り広げる駆け引きの手法である。国民の目に見えない所で、現金が動き利権がやり取りされる。日本的な政治行動だ。永田町では、国会対策ができなければ一人前の政治家とはみなされない。この「国会対策的手法」が、日本外交を混乱させ、日本政治の品格と質をおとしている。国会対策には、理念も正義もいらないからだ。[…]国会対策的手法しか知らない政治家が、「北朝鮮外交」に乗り出した。これが、日本外交を混乱させ、「外交敗北」を招いた最大の原因であった。

『外交敗北――日朝首脳会談の真実』 P.16

日本の国会は「会期限定」(米国は通年国会(=連邦議会))。短い期間で法案を成立させなければならない。背に腹は代えられない。あらゆる手段を講じて反対派を抑える。必然的に「実力者」へ資金や利権が集中する。

この手法を日本の政治屋と外交官が外交でも使った。北朝鮮の「実力者」を探した。そしてアンテナにかかったのがミスターXだった。ところがミスターXは「工作員」(筆者の取材による)で「外交官」ではなかった。

日本は外務省という正規の窓口を介せずに「外交」をはじめた。米国なら即刻解任される。だから米国は首尾一貫、外務省(外交官)と米朝交渉している。

政治屋がたかる北朝鮮利権に目を開いた。政治屋と政治家は、英語なら使い分けられる。前者は「Politician」、後者は「Statesman」と訳す。実際、筆者はある連邦議員に「あなたのような立派なポリティシャンが…..」と口にして大変しかられたそうだ。

朝鮮総連幹部の肩書きを持った人物やその手先が、永田町や議員会館、外務省内に出入りしている。朝鮮総連参加組織の女性が、ショッピング袋に現金を詰め、議員会館を歩き回り、現金を手渡していた事実を日本の警察は確認している。同P.256

昔の話ではなく現在の事実。他にも朝鮮総連首脳部の証言を紹介している。巻末に掲載されている資料(過去の北朝鮮訪朝団の政治家リスト)や現在の報道と照合すれば、人物は推測できる。特定の個人を問題にしても意味はないけど。

そもそも米国は日朝国交正常化交渉を歓迎していない。していないどころか「裏切られた」とワシントンは憤慨している。ワシントンの情報を果たして外務省は入手できていたのかどうかが疑問。

ワシントンの情勢を知らなかった小泉首相

小泉首相はワシントンの情勢を知らずに訪朝を決め、2002年9月12日ニューヨークでブッシュ大統領に「平壌に行く」と報告した。その場で小泉首相はブッシュ大統領の意向を知るところとなる。瞬時に「動物的カン」がはたらき、「核問題が解決しない限り」と小泉首相は述べたといわれている。

ニューヨークでのブッシュ大統領との会談まで外務省は「拉致問題が前進(解決ではない)すれば正常化を進め、核問題は正常化後に米国へ橋渡し」しようと判断していたと筆者は推測した。しかし、会談から「米国が核問題を深刻に受け止めている」と識認し、拉致問題も思わぬ方向へ進み始めたあたりから日朝国交正常化交渉は迷走しはじめる。そして、迷走の元凶となるミスターXと北朝鮮外交に引きずられていく日本の外務省の様相が浮彫に。

日米同盟の現実と外務省の危機

本書から二つを読み取った。「日米同盟の現実」と「外務省(官僚機構ともいえる)の危機」。日米同盟の現実は日米同盟の是非ではない。現実は「非」がないと再確認。また中国と米国のバランサーになるべく「第三の道」を模索しようとするなら、「相当なリスク」を背負うだろうと思った。とりわけ情報戦は圧倒的劣勢、ほとんど米国に依存している状況下、日本の政治家は「情報」もふくめて肩を並べることに賭け金を置けるのか。

外務省の危機は、「個人」が跋扈する実相にぶちあたる。「国益」よりも「省益」、もっとあびせるなら「個益(=個人の利益)」を優先しているように映る。ずばり「出世」だ。

米国は政権が交代するとスタッフも同時に辞職する。政権交代時のワシントン大移動は報道でも目にする。システムが個人の利益を優先させる「暇」を与えないのかもしれない。

他方、日本は違う。「一度」の公務員試験に合格すると「定年」まで国家を動かす任務に従事する。その長期間にわたる任務がいつしか出世街道をわたる任務に変容する。原因はわからない。素直にサラリーか。

日本のふるまい方

「個人」の言動を非難するけど、「システム」そのものの課題を俎上に載せようとしないところに改善の兆しが感じられない。官僚主義という単語を耳にしても具体的な印象がわいてこなかった。読了して「官僚主義の弊害」というテンプレートがテンプレートではないと認識できた(少なくとも外務省において)。

ふと思う。もし「経済」が成長期から成熟期あるいは衰退期に突入したとする。そのような日本が海外から評価されたり必要とされるとしたら何だろうか。それには今のようなふるまい方で受け入れられるのか。東の片隅で粛々と老いていくのか、いやまだだといわんばかりに市場を邁進していくのか、それとも新しい立ち姿を模索していくのか、それを百年の大計と豪語して構築するのが政治家や官僚であるならば、「外交敗北」に登場する人物たちはあまりにも心もとない。