[Review]: 私家版・ユダヤ文化論

一九〇一年から始まるノーベル賞受賞者の統計を見ると、自然科学分野におけるユダヤ人の突出ぶりがわかる。二〇〇五年度までの医学生理学賞のユダヤ人受賞者数は四十八名(百八十二名中)、物理学賞は四十四名(百七十八名中)、化学賞は二十六名(百四十七名中)。それぞれ二六パーセント、二五パーセント、一八パーセントに相当する。ユダヤ人は世界人口の〇.二パーセントを占めるに過ぎないのであるから、これはどう考えても「異常な」数値である。[…]ユダヤ人たちはそれぞれの帰属する社会の教育制度に組み込まれていて、学校をつうじて「民族的な教育」を受ける機会を享受していない。にもかかわらず、この異常な数値は民族的な仕方で継承されてきたある種の思考の型が存在することを仮定する以外に説明することができない。

『私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)』 内田 樹  P.175

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

音楽業界、哲学、文学などいたる領域でユダヤ人のリストを作成。そして、ひとつの誘惑的な仮説を構築。それが「ユダヤ人をイノベーティブな集団たらしめている知的伝統が存在する」という仮説。イノベーターは集団のなかに存在する少数派や異端者であって、本来「集団そのもの」をさす単語ではない。にもかかわらずなぜこの仮説に魅せられるのか。それは、「ユダヤ人にとっての”ふつう”を非ユダヤ人が”イノベーティブ”と見なしている」からだ。

そこにユダヤ人の思考の特異性がひそんでいる。思考の根源が「アナクロニズム」(時間錯誤:順逆を反転した形で「時間」を意識し、「主体」を構築し、「神」を導出する思考の仕方)。レヴィナス曰く、「罪深い行為をなしたがゆえに有責意識を持つ」という因果・前後の関係を否定する。

「重要なのは、罪深い行為がまず行われたという観念に先行する有責性の観念です」驚くべきことだが、人間は不正をなしたがゆえに有責であるのではない。人間は不正を犯すより先にすでに不正について有責なのである。レヴィナスはたしかにそう言っている。同P.219

関連エントリー: