[Review]: 日本人とユダヤ人

日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))1

970年、イザヤ・ベンダサン名義で出版。300万部を超える大ベストセラーとなった。のちに「山本学」と称された。日本人・日本文化の論考に異彩を放つ。そして本書を論破したのが 『にせユダヤ人と日本人 (朝日文庫)』 浅見 定雄 。まずは本書から。全体の信が足りなくてもいくばくか琴線にふれればそこから思索にふける。全体を反論あるいは批評できる才なし。それは叡智を有する魁傑の仕事。

「このホテルは国賓も泊まりますし、外国の賓客や著名人も泊まりますので、もし事故があると大変なのでニューヨークの警察は常時特別に警戒していますし、その上連邦政府の秘密警察(=シークレット・サービス)が絶えず警戒しています。[…]その上、フロントその他も、警備という点では絶えず教育され訓練され、行きとどいていますから、ここより安全なところはないわけです。安全にはコストがかかります。しかし、この世のあらゆることは、生命の安全があってはじめて成り立つわけで、もし生命を失えば、その人にとっては、この世のすべてのことは全く無意味です。もちろん、あなたのおっしゃる郊外の豪邸も豪奢な生活もすべて無意味になってしまいます。ですから、まず、自分の生命の安全を第一に考えて、この安全のためには、たとえ他の支出を削れるだけ削ったとしても、当然のことではないでしょうか」

『日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))』 山本 七平 P.15

ニューヨークのアルトリア・ホテルに「住んでいる」ユダヤ人のことば。貧乏ではないが、生活は実に質素。贅沢品はなく、身のまわりに不必要なものはまとっていない。隣室で滞在していた日本人はついに自らの疑問を払拭すべくたずねた。「ここに毎日すむのなら郊外に立派な家も買えるし、楽しくて豊かな生活ができるではないか」。

本書が出版された時代、「安全と水は無料が当然」が自明の公理であった。1972年生まれの私には奇異の感。「ここ」まで敏感じゃない。自明の公理とはいわない。ただ平和ボケしているから「ここ」までと臆断。他者の日常が自分の非日常になればなるほど、自分の日常の「ふつう(ときに異常)」を認識して差異を発見できると思う。差異を発見するための問いを立てられないと不安に陥る。

とはいっても少しずつ自分の中にも安全に対するコスト意識は芽生えてきた。ただ何かが違う。うまく伝えられない。冒頭の文章のなかにヒントが。自身の行動にお金をかけるユダヤ人と自身の行動ではなく他者(“モノ”を含む)にお金をかける「私」というのか。

ユダヤ人にとっては、明日がどうなるかは絶対だれにもわからないので、明日の生き方は、全く新しく発明しなければならないのである。生き方を発明するのも、機会・機具を発明するのも原則は同じで、可能な案をまずたてねばならない。そしてその案の中から、珍案愚案を一つずつ消して行き、最後に残ったもので生きねばならないのである。しかし、日本人には、こういう生き方が必要なわけがなかった。そこで、思いもよらぬ事態にはじめて接すると「思いつめて」しまわざるを得なくなる。しかしユダヤ人なら、アウシュヴィッツでいくら思いつめてもはじまらない。そこでどんな珍案でも愚案でもよいから提出して、何とか生きる道を探そうとする。同P.34

シオニストが三人よれば五つの政党ができるという格言をはさんでさらに続く。

ユダヤ人がいかに大声で論じていても、だれも、少しも「思いつめて」いないのである。議論とは何十という珍案・愚案を消すためにやるのであって、絶対に、「思いつめた」自案を「死すとも固守」するためでないことは、各人自明のことなのである。ここに大きな差がある。戦後の日本の政界や政治的グループを見ると(戦前も同じだが)、必ずそこに「思いつめ集団」がいる。戦前および戦争中の青年将校グループや一時期の社会党や左翼グループは、確かに「思いつめ集団」であったし、少なくとも思いつめたようなジェスチュアはとっていた。同P.35

8/15の次の日、私は思いつめて社説を読んでないだろうか、珍案・愚案を消す前に自案を死すとも固守していないだろうかと自戒。