懈怠

2010.09.06 晴れ

09/05の大津市の気温が37.5℃。最高気温を記録している時に一人で散歩していた。汗だく。体感温度は最高というほどではなかった。最近、早朝は涼しくなってきた。本日は終日自宅、家の中は外より暑く感じた。こまめに水分を補給しているが、何せ自宅の仕事場はMacやディスプレイ、ルータなどの発熱で暑い。むぉって感じで、16:00頃には頭がボォっとしてきたのでリビングに退避して仕事していた。18:00頃になると身体がずいぶん気怠くなってちょっとマズいなと自覚。

終日、O先生のイラスト制作。白黒の線でGBRをデフォルメして描く。下絵と写真を参考にする。何とか明日に仕上げられそう。今週末ぐらいにはアルバイトの資料が届くだろうからそれまでにいくつかのページを制作しておきたい。

ミーティングの現場で各々の表情や言動を見ていると「曖昧」と「矛盾」を感じ取られる。現場には2つの事柄がある。現場が規則に従い系統的に運営されている事柄と個人の能力と裁量によって運営されている事柄。曖昧はその中間地点にある。

曖昧が生み出す一つの出来事に対する解釈の数は発言者の人数と等しい。解釈は職域で分類できる。職域の視点は一つの出来事の解釈へ影響を与える。職域が3つあれば解釈は3つに分類される。3つの解釈は職域の中の人数分へ拡張される。それぞれの主観が解釈を拡張する。

曖昧が生み出す一つの出来事は同定と予測してミーティングを見ていたら矛盾に出くわす。まず前提の同定が間違えている可能性を吟味する。

職域ごとに分かれた解釈の中に矛盾がある。あるいは職域のなかの人々が拡張した解釈や言動に矛盾がある。

そこで「矛盾がある」と判断してしまわずに留保する。境界条件と制約条件を整理する。それから再考したら一見矛盾するような感じがしたけど矛盾しないと納得できる。

それぞれの説明の文脈を掘り下げるとつながっている。その「つながり」から「問題」は発見される。

それぞれの解釈を参照して個人の過失や間違った行動へつなげてしまうと矛盾に見えるかもしれない。でも個人の過失や間違った行動から問題は起きないと思う。

ミーティングの現場にいると、問題解決と問題発見の均衡が変化していると感じる。前者を疎かにするのではない。後者の能力がシステムに求められるようになってきた。

システムは問題発見の精度を高めたい。観察。現場は見慣れた景色を異なった視点やまったく新しい視点から観察する力を要求される。その力はもとから備わっていない。異なる視点? 新しい視点?

問題は改善の中から生まれる。改善するから問題が発生する。だから問題を解決してきた。でも、それらの問題解決はミスを処理しただけと見方を変えられないだろうか。ミスを犯した人を注意して改めさせただけだったのかもしれない。

解決方法を書籍が教えてくれ、インターネットで検索すればブログやメルマガがヒットしてそこには解決ポイントが少しだけ書いてある。ミスを処理する方法を格段に見つけやすくなった。

でも何かがおかしい。ミスが起きる毎日の現場はどこかその場しのぎで処理されていないだろうか。ミスが起きる現場の裏側に潜むほんとうの「問題」は何か?

今、「問題」の定義を書き換えなければならないような気がする。ミーティングの現場へ出ていると、(意見の理路を飛躍させてしまうけど)『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』 マイケル・サンデル, Michael J. Sandel『マネジメント – 基本と原則 [エッセンシャル版]』 P・F. ドラッカー, 上田 惇生 のブームの理由を自分なりに咀嚼できそうだ。