例のオジサンの後日談を聞きたいなんつー予想外のリクエストが舞い込んできたもんで、それでは続きをツラツラ書こうかと。初めてのかたは、まずはこちらを読んでみてください。
あの後、紆余曲折しながら何とか卒検(って言うんでしたっけ?)をクリア。あとは免許センターの試験のみを迎えた19xx年5月2日。戦場へ向かうべく意気揚々と京阪古川橋駅を下車したとたん背筋が凍り付いた。
「なんや、この人だらけは…..」とひとりごち。嫌な予感をしながら、門真試験場まで約15分。アリの行列のごとくみんなうつろな目で歩いていく。到着。
時は、AM8:30ちょっとすぎ。目前に広がる光景に瞠目す。東大阪市の成人式並みに群衆がとぐろを巻いている。ちなみに、自分の時の成人式は、約1万人が出席したらしい。訳がわからずうろたえているところへ、さらに追い打ちをかけるアナウンス。
「本日は、空前絶後の受験人数のため今から並んでいただいても、免許が即日発行できません。また、受験していただけるかどうかわかりません。」
そのアナウンスと同時に、「ええかげんにせえよ、コラぁ!」「なにゆうとんねん」と怒声がどこからともなく浴びせらる。その瞬間、「すわ!大阪市内某区で起きた暴動か」とデジャビュした自分は、周囲に手頃な石がないかどうかサーチ。
:::閑話休題:::
実は、これには訳がある。この年の5月か6月から自動車免許教習の制度が大幅に変更された。現在で言う、高速教習や2,3人で路上教習する制度に移行する。それで、自分を含めた旧制度を受講しようとした駆け込み組が、ちょうどGWに殺到したものによる。
:::終了:::
で、近くの関係者とおぼしき人に、石をもちながら「もう無理ですか?」と尋ねる。
「アン?見てわかりませんか?これだけの人数、門真始まって以来やわ」
愚問には愚答といえ、一瞬、警察へ連行される自分を妄想。顔の筋肉が硬直したまま笑うという生まれて初めての経験をして、「そうですか、ありがとうございます」と礼を述べる。
せっかく遠路はるばる来たのだから行列の出来る門真試験場を物見遊山気分で、列の先頭からズンズン歩いていくと、
「兄ちゃん!」
20年ほど生きてきて記録された正確無比なボイスレコーダーから該当人物をピックアップ。続けて完璧な記憶が該当フェイスをモーフィング&3D化し再生完了。直後、「間違いだ」と現実逃避。ピックアップから現実逃避までの間、ルート2秒(語呂合わせがなつかしい)。
「まぁ、たまにはミスもあるさ、ハハハハハ」と乾いた笑みをうかべながら、短足スライドマックス歩幅で早歩きしはじめたら、
「にいちゃん!コッチや!」
右心房と左心房にもう一つしんぼうができそうになりながら、声のする方角へゆっくりと首を240度回転させる。おまちかね、オジサン再登場。あの時よりさらにエレガントさがましたその容姿。2度あることは3度ある瞬間気絶。
「いま、きたんか?」
"試験のアルバイトです"という嘘と、"はい"とう真実を天秤にかけた結果、もう少しだけ堅気でいたいと心中自答。
「はい」
「そうか、イマからならんでもアカンしな。せやさかい、ここならべや」
その言葉に半径5m圏内一般ピープルが、一瞬色めきだつ。
「あかんでぇ」
という声を、クリスチャンでもない自分が、この前の試練のご褒美にと神様に祈る。当然、神は我を見捨てたもうた。
「このにいちゃん、いれたってや」
オジサン側からすると『お願い』であり、そうでない側からすると『脅迫』である。まさに、人の立場により人の受け取り方が変わること、いかほどに。と、フィロソフィ的に目の前の事象を捉えてみる。
そして、一般ピープルたちの顔を見た自分は、驚愕。人というものは、かようにチャーミングな作り笑顔をクリエイトできるのか。普通なら、オジサンのうしろには後光が差して見え、周囲のヒトたちを菩薩かエンジェルかと見まごうところ、自分には阿鼻叫喚の地獄絵図と錯覚。
そこからはオジサンの独壇場。今まで一人だった反動か、マシンガントーク炸裂。しかも裏と表の両方の会社の話。当初、自分と前後の人との間隔が、神戸ルミナリエ見物状態だったのに、フト気がつくと、G・馬場さんが寝転がっているぐらいの前後間隔が発生。そのままモーゼの十戒がみられるかもしれんとプチ期待。
くわえて、雑踏のなか当初は聞きとりにくかったオジサンのデンジャラスボイスが、その時には、クリア&ハイクオリティステレオサラウンド。おそるべし、オジサンパワー。それでも、ほっこりしながらオジサンのトークを聞いていると、神を恨んだ。耐え難い試練。
「やっぱりバイトばっかりか?どや、もういっぺんかんがえてみいひんか?」
おそらくこれが人生最後であろう瞬間気絶。クソッ、なんでひらがなとカタカナばかりで会話するっと、心中でののしりながら、先のみなさまがたの作り笑顔をトレース。
「いや、だからセイガクなんですけど….」
と伝え、免許をとらず、親子の縁をきり、東大阪の地を二度と踏まず、姿形と名前を変え、最果ての地で天寿を全うするべきか
「わかりました。それじゃ気張らせていただきます。」
と伝え、免許をとり、親子の縁をきり、東大阪の地で根をはり、姿形と名前を変え、この地で桜の花のごとく短い人生をまっとうするべきか
マイナスルート2秒で決断。
「本当にありがとうございます。私のような若輩者に二度もお声をかけていただいて。ですが、私はまだまだ世間のスネをかじっているような根無し草です。まだまだ修行がたりていません。もう少し男を磨き、納得できましたら、お声をかけさせていただくこともあるかもしれません。そのときまで失礼させていただきます。」
1000万円のファイナルアンサーに、我、狂喜乱舞。
「正解!」
と、オジサンが言ったかと幻聴したが、どうやら違った。
「そうか、おしいけどな。ほならあんじょうきばれや」
と、家田荘子氏原作の映画にでてくるようなセリフをいただき、「ありがとうございます」と頭を垂れた。
と、こんな十年ちょっと前の記憶を、今度も読書中の「山谷崖っぷち日記」が蘇らせた。リクエストとはいえ、自分は、なんでこんなことを思い出したのか?と訝るような顔をしてブログを書いている。
後日聞いた話では、私の後ろ数十mから以降の人たちは、試験が受けられても免許を即日発行してもらえず、また試験すら受けられない人もいたそうだ。
自分はこの出来事を幸ととるか不幸ととるか、問い続けなければならない。
あのオジサンは、今、何をしているのだろうか?
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