歯科医院で食育をとか

歯科医院で食育をって言ったら怒られるか。わからん。ひょっとしてもうすでに食育している歯科医院もあったりして。医療界を存じ上げていない。深くかかわりあってるわけでもない。現場を多少知っている程度。

自分の経験だけでモノを言う。健康診断に行ってない。「行ったら時すでに遅しだったら後悔するよ」や「からだは大切にしなくちゃ」と忠告してくれる。ありがたい、けどやっぱり躊躇。「健康を診断する」ために”あてられる”のはいかがかと。微量。わかるよ。でも異物。それが毎年闖入。うむ、なんか落ち着かない。だめならだめだろうと。

なのに歯科医院へは健康診断に行く。理由を聞かれると、「さぁ、たまたま歯科医院のウェブサイトを制作しているから」としか答えられない。非論理的な頭脳とあきれられる。まぁいい。ようは、信頼する先生方とお会いする機会が多いということでしょう。それが動機。

で、枕から本題。ヒトが何を食ってるなんかなんて興味ない。どうでもいい。でも、”入り口”であることにかわりない。ましてや”入り口”に”口”を使うなんてトートロジーっぽくない?なんて。”入り口”なしで”口”を説明してくれよ。

“入り口”なのに健康診断で”食”の話はナイ。食と口はリンクしてないのか。知らん。ただ、木を見て森を見ずという。咀嚼なんて便利なことばもあったり。

なんか、そういう「磨けよ」以外の”かまえ”って知らないなぁと思った。教えてもらうのは甘っちょろいか。

【溶けゆく日本人】快適の代償(3) 出来合いの食 誰も彼も容易に

東京の公立小学校に35年間勤め、現在も嘱託で教えているベテランの山本恵子教諭(61)=仮名=はあきれ顔で話す。「運動会のとき、水筒に牛乳を入れてきた子がいたのには驚きました。ジュースを入れてくる子供は普通に見かけるようになりましたが、常識のない親が増えましたね」

弁当を持参する日。子供の弁当をのぞくと、冷凍食品のオンパレードだ。コンビニ弁当を持たせるのも、もはや珍しくない。「もっとも、この数年、若い先生は男性も女性も給食のない日に近所のスーパーやコンビニで弁当を買って食べています。先生がこれでは食育指導なんて…」

そうか、水筒にジュースを入れたりコンビニ弁当を持たせる親に食育もクソもないのか。だから歯科医院で食育なんて、シーズなきニーズ。食育どうのこうよりも金銭の格差よりも民度の格差。

常々、思う。歯科医院が”歯科”医院でなくなってほしいと。