議論

2009.12.12 晴れ

朝は寒いけれど昼間は暖かい。 12月中旬。変な感じ。ただ、年末年始に関心がないので、2009年の残り日数を言われても反応しない。

午前中、雑務を処理してから昼前に神戸へ。O先生とのミーティング。3回目。12月の土曜日はこれにに割り当てている。サイトリニューアルの議論。議論と表現して差し支えないと思う。互いの意見を述べている。感情を算入した話し合いは苦手だし、興味をもっていない。O先生との議論は、感情や打算を考慮しなくてよい。そのまま意見を述べ、それについてどう思うかと切り返せるから議論できる、と推測している。議論の前提である目的が一致しているからだろう。反論の理路が整っているから、先生の意見を即座に採用するし、その反対もある。反論がよいアイデアを生んでいる。自分は英語を話せないので申し訳ないと思う。英語の方が議論しやすいのかと尋ねてみた。これまでにサイトリニューアルの議論に費やした時間は12時間を超えた。コンセプトが固まってきたので、今日は枠組みの議論。

建築設計士の先生方の役割を知らない。建築という全体のどの部分を担っているのだろう。とても興味を持っている。だが、自分の家を建てた経験がないので想像の範囲を超えない。今回のサイト制作は、設計のリソースへ時間が割り当てられている。先生から設計士であってほしいと指摘された。制作のクオリティの期待値と設計の期待値を測ると後者が高い。テキストや図の準備も先生が分担する点からもそう判断できる。

22:00前に自宅へ到着した時、頭がクラクラした。風邪ではない。部屋に入って机の上に置いてあったアルバイトの資料を見て頭がクラクラした。クラクラには少なくても2種類あるんだなぁって理解した。

1999年に滋賀へ引っ越してきた。ちょうど10年。10年一昔の意味を少し理解できた。自分の躰にはじまり、身近な人の存在であり、それに関係。そして、家の環境などなど。生活の習慣や様式も変わり、どんどんシンプルになっていく。自分がそのように指向しているからだ。

帰宅後、iPhoneのICレコーダを聞いた。O先生と議論が噛み合う雰囲気をつかみ取れた。否、噛み合っているのではない。包み込まれている。O先生の姿勢。自分はとうていまねできない要素を備えていらっしゃると観察。自分はまその要素をったく身につけていない。過去3回の内容を聞き返して、議論が上手くなったと錯覚しなくてよかったと心底感じた。あぶないあぶない。

素直であることはとても難しい。